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◆ 旅行記 ◆

 関・美濃市・郡上八幡旅行記(2015年10月)

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 今回は岐阜県にある郡上八幡城を観に行ってきました。東京から郡上八幡ですと、鉄路ではなかなかアクセスが悪いです。金にモノを言わせれば何とかはなりますが(のぞみと特急ひだを用いるルートとなります)、モノを言わせ過ぎなコストになるため、今回は往復パピヨン号という新宿と岐阜県関を結ぶ夜行バスで、日帰り弾丸行程となりました(前にも書きましたが、6時間程度しか乗車時間のないバスで帰ると翌日の仕事がキツいので、翌日が休みの日を狙っての日帰りにしました)。あと、郡上八幡は空港が全然近くにないので、飛行機はアクセス手段にはなり得ません。まずは、新宿駅に向かう前に新宿のもちもちの木で夕食。弘前の時にも書きましたが、津軽ラーメンな感じのラーメン。
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 新宿駅西口のバス乗り場でパピヨン号を待ちますが(※この当時ではまだバスタ新宿はありませんでした)、色んなバスが大した案内もなくひっきりなしにやってきますので、パピヨン号を見逃さないか不安になりながらバスを待っていました。ようやくやってきたパピヨン号に乗車。割とどっしりしたシートでした。しかしながら、車内案内も少な目で、降車客のいない停留所は無案内で通過するので、突然関シティターミナルに着いた感じがします。写真は関シティターミナルに停車するパピヨン号。10月の5時の関はまだ真っ暗で寒いです。
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 往路は関シティターミナルで降りたのは管理人だけでした。
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 関シティターミナルは長良川鉄道関駅の駅前にあります。長良川鉄道の本部があるのも関駅です。停泊中の長良川鉄道の車両。今回の旅の幕開けを予感させます。
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 関駅駅名標。まだ長良川鉄道の始発までも時間がありますので、周辺を散策します。もちろんまだ列車を待っている人などいません。
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 関シティターミナル。右側が関駅の方向で、右側からバスやタクシーが発着します。早朝5時では人も車も皆無です。
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 待合所もあります。ここで少し休憩しました
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 岐阜バスのイメージキャラクターあゆかちゃんとのこと。
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 近くのサークルKに朝食を買いに行きます。陽が上ってきました。
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 朝食を買ったサークルK。美濃市に着いたら食べることにします。朝焼けがなかなか良好。
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 関駅周辺散策道中にあった豚の貯金箱(?)。
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 そろそろ始発の時間となりました。関駅近くの踏切から美濃市・郡上八幡方面へ続く線路。
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 長良川鉄道の車両。1両の気動車。
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 関シティターミナルも少しずつ明るくなってきました。このオブジェは関名産品の日本刀をイメージしているのでしょうか。
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 関駅のシティターミナルとは反対側の出入口。後で出てきますが、美濃市や郡上八幡すら出入口は1箇所しかないので、2箇所ある関駅は長良川鉄道の中ではかなり栄えている駅になります…。
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 始発の美濃市行に乗ります。まだ郡上八幡へ行っても早いですので、美濃市のうだつの上がる街並みとやらを観に行きます。
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 今回は一日郡上クーポンを利用しました。美濃太田〜郡上八幡間が乗り降り自由で、郡上八幡城と博覧館の入場券付で、関以南から長良川鉄道を使って郡上八幡観光をする場合はお得です(単なる乗り鉄でも美濃太田から乗る分にはお得でしょう。乗り鉄目的では関からでは後戻りがなければ微妙ですが)。できれば関〜美濃太田間も乗り鉄してみたかったですが、今回は時間がないため、南側は刃物会館前までとなります。
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 始発列車の車内。1両の写真のような昔ながらのクロスシートの気動車。関〜美濃市と短距離なのもあり、終始乗客は管理人1人で貸切でした。景観は関駅周辺以外は3DSの某ゲームのような感じでした(前述の関シティターミナルは、長良川鉄道のゲームが出た後にできたので、関駅周辺は景観が異なっております)。実車はドアを閉める前に警笛を鳴らすようです。
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 美濃市着。折り返しになる管理人の乗ってた列車は2人乗りました。美濃市駅に留置されていた車両。
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 美濃市駅駅名標。
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 美濃市は駅舎がなかなかレトロです。出場するのですが、出口への階段もレトロ。
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 出口を載せたので入口も載せておきます。
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 美濃市駅改札。有人改札のつくりにはなっていますが、改札は車内で行いましたので、このまま出場。
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 美濃市駅待合所。やはりレトロです。
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 美濃市駅駅前。トイレくらいしかありません。
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 美濃市駅。掛川駅を思い出します。うだつの上がる街並みへ向かいます。
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 道中の旧名鉄美濃駅。内部開放の時間(午前9時)までは今回は待てませんので、柵の外側から写真撮影。
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 旧名鉄美濃駅に留置されている車両。
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 旧名鉄美濃駅に留置されている車両。
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 当時のなのかは分かりませんが、駅名標まで設置されていました。
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 丁度ベンチがあったので、旧名鉄美濃駅で、先程関のサークルKで買った朝食を食します。普通にコンビニ飯です。
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 うだつの上がる街並みに到着。昭和(むしろそれ以前か)な雰囲気。
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 うだつの上がる街並み。
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 うだつ造りの重要文化財小坂家住宅。逆光の少な目に撮れた4つの住宅を載せようかと思います。屋根に注目。以下解説文“小坂家住宅(常磐町) 格式をあらわす卯建の家 この家は江戸時代中期の建築で、元禄年間には金融業を営み、明治時代には県会議長も努めた名家で、味噌、醤油。雑穀、材木、質屋を家業としていた。平入り住宅の両端の壁を屋根より一段と高くして設けた卯建が本来は防火壁であったことを示している好例である。ただし卯建が塗籠壁となっているのは明治時代の改造である。損傷の少ない家で文化財としては価値が高い。なお卯建飾りは痛みがひどくなり近年復元した瓦が使用されている。加納藩藩儒、三宅縦台の清生家である。”
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 バス停の名称になる程のもののようです。
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 道中にあった石材店の作品達。
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 うだつ造りの大石家住宅。正面でも何とかうだつ造りが収まります。以下解説文“大石家住宅 明治五年の卯建造り この家は棟札があり、建築年代のはっきりした家の一つである。この家の明治の頃は米屋を営み、若主人は自由民権運動の闘士として活躍した。鳥森友吉といって若くして県会議員まで勤めたが三十歳余りで亡くなった。卯建飾りは江戸時代より一層豪華となり、大きい鬼瓦、太くして装飾一ぱいの破風瓦、大きな懸魚がつき、明治の卯建の特色を表している。これから十年もたつと、隣家の屋根との関係で大きな問題をもつ卯建の家は建てられなくなる。”
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 うだつ造りの市指定文化財旧今井家住宅。以下解説文“市指定文化財 旧今井家住宅 江戸時代中期の建築で、古い形式のうだつ造り、美濃の代表的商家のひとつである。間口15.8メートル、奥行15.8メートルで8畳間9つどりを基本形にした最大規模の家屋である。江戸時代から紙の原材料として繁栄を続け、江戸末期には庄屋と、戦前には町の諸役と勤めた名家であった。度々改造はあったが古風さがよく残り、かつての裕福さをしのばせている。中庭の水琴窟は、環境省の残したい“日本の音風景100選”に認定されている。”
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 うだつ造りの重要文化財松久達三家住宅。以下解説文。“松久達三家住宅 片卯建の家 この家は隣家の卯建壁に密着して建てられており、右の卯建はない。しかし、卯建のある家に住むのは商人の憧れであった。この屋根は左側にのみ卯建をあげた変則的な家であるが、商人たちの卯建への願望を示す唯一の例である。鬼瓦にある企はこの家の屋号であろう。破風の形、懸魚飾りも古い江戸時代の形式であるが、右隣と比較すると少し装飾がふえている。この家は今も紙商で、店構えも古い慣習がよく守られて、まことに味わい深いものがある。”
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 うだつの上がる街並み。山々との調和が良好な印象。美濃市に戻り、今度は関の刃物会館に向かいます。
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 美濃市付近を走行中の長良川鉄道の車両。
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 いったん関を通り過ぎて刃物会館前で下車。今度は1両のロングシート車でした。さすがにこの時間ならば10人ちょっとは乗っていました。
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 刃物会館前駅名標。両隣が苗字みたいやな…。
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 岐阜県刃物会館。中は物販だけです。中は撮影できませんので、写真は割愛します。別に本物の日本刀は販売していないです。日本刀型ハサミを記念に購入しました。意外にそこそこお客さんはいるので、入りづらい雰囲気ではなかったです。日本刀の資料系は近くにある伝承館にあるようです。今回は時間の都合でそこまでは行けませんが、次回があれば観てみたいと思いました。
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 ゆら〜り眺めて清流列車というのに乗って刃物会館前から郡上八幡へ移動します…が、写真左上の超混雑でした。1両のロングシート車で、短編成過ぎますし、ロングなので座れば景色など見えません。長良川が見える所でゆっくり走りますが、特に車内アナウンスもなく微妙過ぎる印象です。一部極端な速度制限がある、大きな川に沿って走る、気動車という点は、先月の九頭竜線に似ています。そう言えば、長良川鉄道は越美南線、九頭竜線は越美北線が正式名称なようで、当初は結ぶ計画もあったようですが、頓挫したようです。人によっては、結ばれなかった長良川鉄道の終点北濃と九頭竜線の終点九頭竜湖を徒歩移動してみたりする方もいるそうですね…。道中の道は、建設頓挫する位ですから、結構険しく、人気もないそうですが…。脱線しましたが、途中の写真がなくてすみませんが、郡上八幡に着きました。
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 右下の番号から恐らくさっきと同じ車両(折り返し列車)でしょう…。郡上八幡で多くの客が降りますが、まだ座席の3分の1くらいは乗客が残っていました。
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 郡上八幡駅ホーム。こちらも美濃市駅に劣らずレトロです。
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 跨線橋を渡って改札へ向かいます。先程も書きましたが、郡上八幡は1箇所しか改札はありません。
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 跨線橋。木造率が高いです。
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 今回は北側は本駅までの乗車となりますが、北濃方面は跨線橋を渡るようです。
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 郡上八幡駅。こちらも美濃市駅並みにレトロです。なお、この駅では土産は一切販売しておりませんので、ご注意下さい(土産については後述)。
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 郡上八幡駅駅前。駅前は特に何もありません。店は少し歩かないと皆無です。
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 郡上八幡駅改札。美濃市駅同様、車内改札なので、ここでの改札はないです。
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 郡上八幡駅に入っているふるさとの鉄道館。帰りに観ようかと思ってたら、帰りでは閉まっておりましたorz 次回があればその時に観たいと思います。
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 郡上八幡駅から郡上八幡城まで歩きます。ルートによりますが、駅から登山口までで40分強かかります。登山道から城までが約20分ありますので、駅から城まで徒歩では1時間はかかります。あと、道中は意外に車が多く、結構騒音が酷い印象です…。道中の吉田川。長良川の支流とのこと。
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 吉田川にかかる橋梁にあるオブジェ。
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 吉田川。初夏には名物の鮎が採れるようです。次行くなら5月位がいいのかしら…。
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 吉田川に沿って行くと実は大回りなのですが、ようやく郡上八幡城が見えてきました。
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 郡上八幡城下町と言ったところか。ここもレトロです。
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 郡上八幡城登山口に着きました。先程も書きましたが、城はここから徒歩20分あります。
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 郡上八幡城登山道。最初は整備された道路が続きます。
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 登山道からの景観。
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 山内一豊公像とその妻・千代の像、ならびに郡上八幡城天守。ここは公園になっています。
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 公園から郡上八幡城天守をズーム撮影。
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 公園。右側のジャングルジムで天守を撮影しています。
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 登山も後半戦です。ここからは日本の城っぽい道になっていきます。
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 登山道。遂に石垣が見えてきました。
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 登山道。階段も石に。
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 郡上八幡城天守と隅櫓。もうちょっとですね。
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 郡上八幡城天守をズーム撮影。
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 力石。以下解説文。“力石 この二つの石は、寛文七年(一六六七)城主遠藤常友が城を修理するため領内から多数の人夫を集めたとき、その中の一人である大和町の作兵衛(通称、赤髭)が城下の河原から背負ってこの地まで運び上げたものである。(重さ約三五〇キロ・長さ約一メートル・厚さ約三〇センチ)奉行の村上貞右衛門がその力量のすぐれているのをみて激賞すると彼は感涙し、たちまち力尽きてその場で卒倒し息絶えてしまった。 奉行は憐れに思ってこの石の使用を禁じたが、昭和八年(一九三三)に天守閣を建設する際この石が草の中に捨てられているのをみた古川七兵衛氏が作兵衛の心根が世に忘れられたのを嘆き、この地に碑として安置して顕彰しその礎石にことのあらましを記したものである。”
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 郡上八幡城天守と隅櫓。
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 やっと城門に到着しました。ここでは土産も売っています。天守に入る前の最後の休憩ポイントです。
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 郡上八幡城を正面より。大垣城にあった資料を元に再建した様子。以下郡上八幡城の沿革についての解説文“八幡城の沿革 永禄2年(一五五九)遠藤盛数が東殿山(市街地南方)の東家を滅し八幡城を築いたのがこの城の創始である。後、秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天守台等を設けた。やがて関ヶ原合戦が起ると遠藤廣隆は家康に味方し、慶長五年(一六〇〇)再び遠藤氏が城主となった 元禄五年(一六九二)遠藤氏後嗣なく没収せられ常陸より井上正任が城主(四万石)となって来封したが間もなく同十一年金森頼時がこれに代わって封せられた。宝暦八年金森頼錦の晩年になって失政のため農民困窮甚しくついに金森騒動宝暦義民の一揆が起り、そのため一家は断絶され、同年円後国宮津の城主青山幸道が代って郡上藩主となり八幡城下四万八千石を領するこっとなった その後藩政よく治ってその後明治維新によって廃城となり、昭和八年旧跡に模擬天守閣が作られたのである”
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 隅櫓。
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 写真撮影スポット。先程記載した山内一豊公と千代。
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 中に入ります。郡上八幡城は中も撮影可でした。入ってすぐの階段。
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 貝合せ。しかしこれがトランプの類になるのか…? イカサマがなされたのかは知りませんが…。
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 天守入口付近はいかにも再建な雰囲気でしたが、上の方は雰囲気を出しておりました。
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 藤次郎の脇差。
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 刀剣、空穂、刀の鍔。以下左から解説文。“江戸時代、青山氏家臣村上家に伝えられた刀。”、“矢を収納する筒状の容器。矢羽が雨に濡れるのを防ぐために使用されました。”、“刀の鍔 東氏が滅ぼされた東殿山の古戦場から出土しました。”
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 郡上八幡城城下町復元模型。
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 郡上八幡城城下町復元模型。
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 天守から臨む隅櫓と城門。
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 天守の展望台。ここはなかなか雰囲気が出ています。
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 郡上八幡城天守の景観。右手にはドーム状の建物が、左手には街並みが臨めます。この街並みは、よく見ると名産品の鮎のように見えます(後述の写真の方が分かりやすいかと思います)。
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 天守の瓦。
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 天守からの景観。街並みが魚のしっぽのように見えます。吉田川も臨めます。
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 方向によっては完全に山です。
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 街並みをズーム撮影。魚のように見えます。
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 この瓦はうだつ造りと関連はあるのでしょうか。これで天守から出ます。天守内部は1時間程度で観られます。
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 郡上八幡城天守を裏側から。
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 裏側は割と要塞チックな感じです。段差と狭間がいい味を出してます。
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 首洗い井戸跡と石垣。
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 ここはなかなか石垣が見事です。
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 裏側は石垣と狭間が印象的な完全に要塞ですね…。博覧館へ向かいます。
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 博覧館近くにある土産屋。郡上八幡の土産はここか先程の郡上八幡城天守の入口の2箇所しかないかと思いますので、購入を考えている方はご注意下さい(もう一度書きますが、郡上八幡駅は土産は売っておりません)。飛騨牛串と明方フランクを購入。合わせて780円。
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 博覧館。中に入る前に土産屋で買ったもので昼食。
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 飛騨牛串。飛騨牛は肉質と脂の味とバランスが好みですね…。
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 明方フランク。醤油味で、割と食感はあり食べ応えはありますが、ちと脂っぽさもある印象。
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 博覧館内部。こちらも基本的に撮影は可能です。
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 スナイドル銃。戊辰戦争時の最新の銃。
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 郡上八幡がろう細工発明者の生まれ故郷とのことで、ろう細工の岩崎模型が郡上八幡に所在しているようです。ろう細工の展示がありました。これは他所にはない特徴かと思います。
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 これもろう細工です。
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 ろう細工のつくり方その1。
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 ろう細工のつくり方その2。
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 ろう細工のつくり方その3。
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 これもろう細工です。
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 フロア変わってひな人形。解説文には“現在は、布製の衣装を着た雛人形が主流ですが、一昔前の農山間部では土雛を飾るのが一般的でした。昭和30年(高度成長期)を境に、現在主流の段飾りの雛人形を飾る家庭が増え、土雛を飾る風習は薄れていきました。博覧館では、郡上の旧家の蔵に眠っていた、明治・大正・昭和期の貴重な土雛を約150体一同に集めました。珍しい土雛の数々をお楽しみ下さい。 [人形の種類] 内裏雛 天神様 福助 金太郎 大黒・恵比寿玉 歌舞伎人形 高砂人形 etc 多種多様な土雛が存在するが、それぞれの人形には、意味や子供の成長を願う心、時代背景が繁栄されている。 例】天神様…学問の神にちなんで入学祝等で贈られた。 例】歌舞伎人形…その時代に逆行した演目にちなんだ人形が作られた。 奥美濃地方の桃の節句は、4月3日の旧暦で行われます。古くから、各家庭では男女問わず子供のために土雛を飾って祝いました。この地方では、5月6月にかけ農繁期で猫の手を借りたいほど忙しかったので、桃の節句の時期に、端午の節句の武者人形も同時に飾ったと言われています。”とあります。やはり、この地区は初夏が多忙なようですね。
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 どっちかと言えばやや怖めな像達。これで博覧館は終了です。博覧館は観るのに1時間ちょっとかかります。
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 郡上八幡の観たい所は廻り終えたので、ライトアップまで待機します。
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 天守付近の景観。こちらの方が街並みが魚に見えるでしょうか。
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 夕焼けの郡上八幡城天守。登山道は明かりも少ないため、暗くなる前に公園まで下山します。
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 公園からの郡上八幡城天守ライトアップと山内一豊公・千代像。
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 ライトアップ郡上八幡城天守をズーム撮影。一応、淡緑の混じった白色系のライトアップでした。これから郡上八幡駅に戻りますが、道がかなり真っ暗になっており、最短経路で戻ろうと思ったら迷ってしまい、北側の隣駅の自然園前駅の辺りまで来てしまいました…。自然園前駅付近から郡上八幡駅までそこそこ距離があるのですが、1駅分ダッシュしました…。
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 夜の郡上八幡駅。ライトアップなど皆無です。しかも夜は無人駅になります。昼はあれだけ人いたのに、この時間は管理人と他に1人しかいません…。
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 子宝の湯に入る為、みなみ子宝温泉駅まで移動します。結局、管理人含めて2人乗車のみ…。車内は6人いました。ちなみに、真っ暗では長良川など全く見えません。大方の予想通り、車窓はほとんど黒一色です。路線たび長良川鉄道編に夜間走行なんかあったら罰ゲームを感じます…。
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 みなみ子宝温泉着。噂通り、ホームから温泉に入れます。前述の1日乗車券でも子宝の湯割引券を運転手から頂けました。200円払って入場。しかし、まずは夕食(食事は20時、入浴は20時半が最終受付なので)。
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 子宝カルビ丼と飛騨牛コロッケ。子宝カルビ丼は、辛さが控えめになった松屋のビビン丼って感じな印象。飛騨牛コロッケは衣もサクサクで上品な味でした。合わせて1,110円。食べ終えたら入浴します。ジェットバスやサウナ、露天風呂もあり、星空が凄かったです。あとは、この時はほぼ満月でしたね。風呂ですので写真には残せませんがね…。終わり間際なので空いていました(管理人以外には風呂は2、3人くらいしかいませんでした)。
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 子宝の湯を出ます。書き忘れましたが、土産も多少売っています。こちら側は広い駐車場があります。
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 子宝の湯。この位置は日本のほぼ真ん中の温泉となるようです。しかし岐阜県が日本全国へのアクセスが良好かと言えば、最初に書きました通りそんなことはないという話なのですが…。子宝の湯の営業が終わると、みなみ子宝温泉駅周辺は真っ暗になります。駐車場にいた車も全部いなくなり、人気が完全になくなり、静寂に包まれる中、長良川鉄道の終電を待ちます…。
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 終電が無事やってきました。ここはマジで“よかった…。”と思ってしまいました。もちろんみなみ子宝温泉駅で乗車は管理人1人だけ。他に乗客は1人だけで、その方は美濃市駅で降り、また貸切に。その後、関下有知駅で1人乗りまして、管理人は関で下車。関での乗車はいませんでしたので、それ以降は関下有知で乗った方の貸切です。
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 関シティターミナルに戻ってきました。原点回帰した感じがします…。約1時間バスを待ちます。寒くなってきました。
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 関駅で停泊していた四季のラッピング列車。
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 タクシーも1時間位粘って、管理人が関を発つ直前に客を乗せて発車していきました。そして、帰りのパピヨン号がやってきました。そのまま折り返してきた行きと同じバスです。復路は関シティターミナルから管理人入れて3人乗車。
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 さすがに帰りは疲れもあったか、中央道のせいか、途中で気持ち悪くなっておりました。パピヨン号は酔い止めがあった方がいいかと思いました。そして新宿着。写真は新宿駅西口とパピヨン号。陽も少し出ていました。まあ、東側の方が日の出は早いですからね…。とりあえず郡上八幡城を観ることができたのはよかったかと思います。次回は、ここについてはライトアップまでは無理に狙わないようにしようと思いました…。あとは、刃物伝承館観光と長良川鉄道全線乗り鉄(終着の北濃駅は観てみたいです)をしたいところでしょうか。しかし、ここは東京から無難なコスト・時間でのアクセスがホントにパピヨン号一択ですからね…。次やれる時までに体力があればいいですが…。
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